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最高裁判所第三小法廷 昭和25年(オ)148号 判決 1954年4月20日

主文

原判決を破棄し本件を東京高等裁判所に差し戻す。

理由

上告人訴訟代理人の上告理由は末尾添附別紙記載のとおりである。

よつて先ず原審が本件解除を正当の理由なしとした判旨について検討するに原審は訴外荒井民次郎からの上告人に対する明渡請求は正当の理由がないから上告人はこれを拒絶して頑張つて居ればいいというのである。しかし原審の認定した処によると民次郎が上告人に明渡を求めた理由は同人の妹婿が東京に居住して居るが、東京では生活が困しいから、上告人の現に居住する家屋に妹婿を住ませて書籍商を営ましめ、なお現に民次郎の居住する住宅は市の上田駅前拡張工事の為め三分の一以上が取払われる計画となつて居るのでその暁には右妹婿と同居しようとするにあるというのである。これに対し原審は今の世の中において生活難は珍らしいことではないから、妹婿が生活が困しいからといつて上告人の居住する家で書籍商を営ませようというのは民次郎の恣意に過ぎないという。しかし人が生活難だからといつても自分も何時迄も生活難に甘んじていなければならないという理屈はない。少しでもよりよい生活方法が見出せるならばそれに移ろうとするのは当然である。それ故民次郎が妹婿の生活難を救う為めに書籍商を営ませようとすることを以て強ち「恣意に過ぎない」と割切つてしまうことは出来ない。なお民次郎は只妹婿を救済の為めのみではなく、自己の居宅が取払われる虞があるから、その時は同居するつもりでその準備の為めもあるのである。この二つを合せると相当強い理由になる。種々理由がある場合に、その一つ一つを取つて見れば決定的の理由とならない場合でも、その総てを合せると相当の理由となる場合もあり得るわけである。

なお原審は民次郎の現居宅が取払われるのは差迫つたことではないからこれは理由とならないというけれども、差迫つて居なくても計画が取止めにならない限り民次郎としては何時かは実行されるものと考えてその準備をして置かなければならない。差迫つた時になつて狼狽しても間に合わない場合が多いであろう。それ故これも十分一つの理由となり得るものといわなければならない。原審は正当の理由とならないと判断したけれども、もし民次郎が上告人に対して明渡の訴を提起した場合原審と構成を異にする裁判所のかかりとなると或は正当の理由と認めるかも知れない。上告人としては民次郎の請求が排斥されるものと予想して安閑として居られる場合では決してない。なお市の計画が進捗して民次郎の要求が差迫つて来れば、上告人は現居宅を明渡さなければならなくなるであろうから、その準備をして置かなければならないわけである。徳義上から考えても、民次郎が前記の様な理由で明渡を求めて来た場合、上告人は出来るだけこれに応じようとするのは当然であろう。上告人が右の準備として本件家屋を買取り移転しようとしたのは上告人の側から見れば相当の理由あるものと見なければならない。

借家法の制定された当時は家主の貧欲から所謂地震売買が盛に行われ借家人の居住の安全が不当に脅かされる事件が頻繁に生じたので、これを阻止せんとしたのが借家法第一条ノ二制定の主たる理由である。

それ故家主が自ら使用せんとする場合は絶対的理由と解されて居たのである。しかるにその後住宅難が烈しくなり借家人が移転先を求めることが漸く困難となるに従い解釈も漸次変遷して借家人の立場が重く考えられる様になつたのである。それ故借家人が明渡を求められても移転先を容易に求め得る場合、その他住居に困らない場合はこの事を考慮に入れなければならない。本件において原審の認定した処によると上告人は(一)自ら被上告人の為めに移転先を配慮し或は売家又は貸家などを斡旋した事実ありなお(二)或は被上告人と本件家屋を折半して居住することも差支なき旨申出でたに拘わらず被上告人はこれをも拒絶したというのである。かかる拒絶をするには相当の理由がなければならない。原審が此の拒絶を是認するには相当首肯するに足る理由の説明がなければならない。しかるに此点につき被上告人の拒絶が正当の理由があつたか否かにつき原判決には具体的には何等の説明がない。前記(一)の点については上告人の斡旋した家屋が如何なる家であつたか、真実被上告人の営業に不適当であつたか否か等について十分審理判断しなければならない。前記(二)については何が故に同居出来ないかについて詳細の説明が無ければならない。原審の認定した処によれば本件家屋は被上告人の家族だけが住居するには広過ぎるものであり、現に一部を他人に転貸迄して居るのである。普通からいえば十分上告人と同居し得べき広さがある筈である。原審は広さは問題ではないというけれども、広さが第一に問題となるべきは当然である。原審の認定によれば被上告人は同業であるとの理由で拒絶したというのであるけれども同業であれば当然拒絶の正当の理由となるとは限らない。同営業者が同居すれば多少共不利益である場合が多いであろうことは想像出来ないではないけれども大して不利益を受けない場合もあろうし、また却つて利益になる場合も絶無とは限らないであろう。又多少不便不利益であろうとも(これは前記(一)の場合についてもいえることであるが)原審が前記民次郎の妹婿について書いた筆法によれば今の世の中では多少の不利益は忍ばなければならないことになる筈である。

本件具体的の場合につき詳細の事情を調べて正当な拒絶の理由があるか否かの判断をしなければならない。

要するに原審が上告人は民次郎の請求を拒絶して居ればよいのであつて、本件解除は何等理由なきものとしたのは誤りであり上告人側から見れば解除につき相当の理由を持つて居るものというべきである。それ故被上告人としてこれを拒絶するにはそれ相当の理由がなければならない。しかして上告人が被上告人の移転先として売家、貸家等を斡旋したに拘わらずそれをも拒絶しなお折半居住の要求をも拒絶するにつき相当な理由があつたか否かにつき原審は審理不尽若しくは理由不備の違法があるものといわなければならない。

よつて民事訴訟法第四〇七条に従つて、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 井上 登 裁判官 島 保 裁判官 河村又介 裁判官 小林俊三 裁判官 本村善太郎)

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